2013年1月30日水曜日

ギネス記録のヨガの先生とのプライベートレッスン

先日、香港に住んでいる友人の旦那のインド人のヨガの先生がワークショップでシンガポールに来た。 この先生は、ただのヨガの先生ではなく、ヨガマラソンか何かのギネス記録をもっている面白い先生だ。 レンタルオフィスの一部屋をボスの承諾を得て借り、プライベートレッスンをしてもらった。 これはアクロヨガ。
巻きこまれた立花さんもこんなことに。。。

インドとヨガが好きな理由

インドが好きな理由は、あり得ないことが多すぎるから。 常識って何なんだろうと深く考えさせられた挙句、何もかもがどうでもよくなるからだ。 食べ物も刺激的で脂っこく、確実に体には良くないのだろうが、好きなのだ。 人も見かけは私好み。インド人は良く見ると他の人種と比べて相対的に綺麗な骨格をしている。 23を過ぎたあたりから太り始めるので一見そうは思わないかもしれないが、脂肪に埋もれても骨格は やはり綺麗なのだ。 ヨガは、ヘルニアのリハビリで始めたのがきっかけなのだが、一度やるとその気持ちよさに やめられなくなる。それまではマッサージに行くのが日課だったのだが、行かなくても良くなった。 そしてさらにやり続けると、前にはなんだこれ?と思っていたグネグネ星人みたいなポーズをどうしても やってみたくなってくるのだ。それをやるためにはいろんな所の関節や筋を柔らかくしないといけなくて、 そのための練習が必要になってくる。とにかく「いつまでやっても絶対に到達出来ない地点」があり、 だけど練習を続ければ、確実に出来ないと思っていたポーズも出来るようになってくるところが 「出来ないことはないのだ」と思わせてくれるのだ。これが素晴らしい。最高の暇つぶしなのだ。 そしてそのうち、ヨガというのはグネグネすることではないと気がつく。 あれは運動ではなく、自分のエネルギーバランスを整える作業なのだ。 そうすると、他人や場所のエネルギーバランスなんかもわかるようになってくる。 因みにシンガポールは街自体が風水計算に基づいて作られているせいか、とっても過ごしやすい。 人の欲望も上手くコントロールされて仕事(金儲け)、経済活動、消費に行くように教育管理されている ようで、タイやインドや中国のようなドロドロした欲望にまみれたエネルギーがないのだ。 風通しが良いとでもいおうか。。。 それが刺激がシンガポールはなくてつまらない理由でもあるんだけれど、慣れてくるとこの よそよそしい人工的な場所は他人からの干渉も無くて過ごしやすいことは認めざるを得ない。

シンガポールでレンタルオフィスに勤務する

シンガポールでは初めての転職を年末にした。 新しい勤務先は日系のレンタルオフィス。 最初の業務は私の大好きな立ち上げ。 新しいボスは内装業者やその他の連絡先を残して「じゃあよろしく」と日本に消えていった。 中国とタイでは総務や事務所の立ち上げをやったことがあるけど、シンガポールでは初めて。 以前勤務していた会社では秘書をやっていたので、シンガポールのローカル業者との関わりはなかった。 なので今回初めて彼らがどんな感じか知ることとなった。 各国を比較すると 1.中国:仕事は早いがとにかく雑。言えば交渉と金次第では何でもやってくれるが、言わないと最低限の事もしないで 「終わった」ことになる。でもお金さえ気前よく払えば日曜でも仕事をしてくれるし、賄賂を渡せば出来ないはずのことだって 大抵はなんとかなる。とにかくお金がものを言う。プライドが高いので基本的に態度は良くないがそんなことは期待してはいけない。 2.タイ:仕事はおそいが、作業は丁寧で出来上がりは綺麗。だけど、見かけは良くても言ったとおりに出来ているとは限らない。 幾らお金を出すからといっても日曜日は絶対に働いてくれない。お金よりも自分の生活重視。基本的にプライドが高いが優しいので、 何かをしてもらいたいときはとにかくお願いする。あなたに助けてもらえないととっても困るというアピールが有効。 そうすると、優しいので、「この困っている人を助けてあげなくては」という気持ちから何とかしてくれようとする。お金を渡すより 効果的。 3.シンガポール:仕事は早く、出来上がりはまあまあ期待通り。時折中国がかいま見えることがあるが、基本的に感じが良く、合理的で 大体とんでもないことにはならない。予想不可の出来事は起こりにくいのでやりやすい。ただ、ポイントはとっても感じ良く「明日やるよ」 「明日その書類を送るよ」と言われて待っていても、出せるものはすぐにその通り出てくるが、理由は不明だけど出せないものに関しては、 その明日は永遠に来ない。前の会社でも感じ良く「Yes, Madam. I will submit you tomorrow」と3カ月言われ続けて最後まで出てこなかった 書類もあった。でも感じだけはいいので、ああ、そう、じゃあよろしくとなってしまう。最後の最後で「出せないならそう言ってくれ。 他の方法を考える」というと、そう言ってくれる。なんなんだ、それは。。。最初から言えよといいたい。 シンガポール独特なのは、人との会話での受け答え。 はっきりイエスかノーかをいいたがらない。ものすごく遠回しな、答えになっていない答えを長々と返してくる人が多い。 自分の責任にならないように断定しないように気をつけているんだと思われるが、イエスかノーかだけの答えが欲しいのに 答えにならない答えを3回位リピートするのだ。こっちがうんざりして「わかった、ありがとう」というまで。

2013年1月28日月曜日

中国で急性肝炎になる

中国⑦急性肝炎 ある日、朝起きると、何かが変だった。でも何がどうおかしいのか自分でも分らない。 とりあえず顔を洗おうと洗面所に向かった瞬間、みぞおちの辺りがぐらっと揺れた気がした。 で、目もかすんできたみたいで、とにかくみぞおち中心に身体がぐらぐらする。 何かがおかしい!と本能的に悟り、とにかくベットまで戻った。 運転手が7時過ぎに迎えに来ることになっている。病院に行くなら9時過ぎでいいから、まだ家を出てないようなら遅くていいよ、と電話をいれた。既に「こっちに向かってるよ」状態。事情を話すと、「いいよ、下で9時過ぎまで待ってるから」とのこと。こういうとき、中国人は意外と優しい。 ベットに転がって動かなければ問題ない。どこが痛いとか、苦しい訳でもない。でも何かおかしい。 病院が開く時間まで待って予約を入れる。なんとか用意して、車に乗り込む。 例の血液検査が好きな日本人先生のいるクリニックへ行き、事情を話す。例によって、血液検査を行なう。これがよかった。急性肝炎でガンマG何とか数値?が平均40から大きく超えて、980。その他の数値も大きく平均値を超えていた。すぐに、B型、C型肝炎の検査も追加する。違った。 先生「と、いうことは、A型かE型だと思うんだけど、ここではこれ以上検査出来ない。中国の場合、肝炎は普通の病院じゃなくて、国家管理化の衛生局で扱うことになるから、肝炎が検出されると伝染病隔離病棟に入れられることになってるんだ。(→A,E型肝炎は伝染病じゃないけど)そうなる前に、日本に帰国したほうがいいと思うよ。これ以上数値が上がらなければ、多分自宅療法で済むはずだから。ただ、これ以上上がると劇症化する危険があるから、そうしたら強制入院だけどね」 すぐに上司に連絡し、緊急帰国の旨を伝え、チケット手配の電話を入れる。それから実家に電話を入れると、なんと母方のおじいちゃんが、危篤だというではないか!?ちょっとぼけかけてたけど、身体は健康そのものだったのに、何事?。。。 とりあえずチケットが決まったらかけ直すといい、便が決まったのを確認してから実家に電話を入れると、 おじいちゃんが亡くなったそうな。。。。 なんだ、このタイミング? 私の実家は新潟。おじいちゃんは埼玉に住んでいる。飛行機は成田に到着。 なので、実家に行く前に埼玉で一休み(肝炎で移動はどこも痛くないけど、けっこうつらい)と思っていくと、式場手配の関係で、ちょうどその日がお通夜。駆けつけた親戚一堂と一緒に私も少し顔を出す。 だけどだるくて仕方ないので、ご遺体が置かれた部屋でおじいちゃんの棺の横で私も横になっていた。 その日はおばさん宅に泊めてもらったけど、やっぱり翌日のお葬式には動けなくて出れなかった。 肝炎は朝が特につらい。途中で式場から私の様子を見るために電話がかかってきたけど、受話器を取ることすら出来なかった。どこも痛くないのにね。。。とにかく身体の中からエネルギーを抜かれて何も出来ないって感じだ。しばらくすると、おばさんが家まで私の様子を見に来てくれた。動けるか?と試してみると、今度は何とか動けたので私も途中からお葬式に参加。 焼きあがった後のお骨拾いだけ参加できた。 そのまま両親は残り、私は妹と先に二人で新幹線で新潟に戻る。 翌日は全然動けず、自宅療養。翌々日に地元の病院へ数値を図りに行くと、980から下がってもいなかったけど、上がってもいなかったので取り合えず自宅療養開始。因みに検査の結果、A型じゃないとの事だったので、先生いわく、「おそらくE型だろうと思われます。何か、不潔なもの又は生ものを口にしましたか」? 「そういえば、1週間くらい前に食べ放題の刺身を。。。。でも、日系の高級レストランですよ」 自宅療養というのは、とりあえずじ~~~っと寝ていること。食事とトイレとお風呂以外のときはベットから離れなかった。というより、動けないんだな、本当に。本能的に動いてはいけないのが分る。 だけど、どこも痛いわけじゃないし、口だけは達者なので皆「本当に病気なのかい?」。 でも、良く寝れた。あんなに昼間ず~っと寝ているのに夜も又寝れるというのは普通じゃない。 「寝れば直る」って事実だと実感した。 それから3週間自宅療養後、再度病院で検査すると、980だった数値も80まで下がっていた。平均40なので、まだ完全復帰じゃないんだけど、通常の生活には戻れるとの事。 犬の散歩にも行ったりして数日を過ごした後、上海に戻った。 めでたし、めでたし!

中国で最悪のヘルニア再発

中国⑤最悪のヘルニア ようやく子宮糜爛の治療が終わって体調も良くなりかけたころ。 ある朝起きたら、まっすぐ立てなかった。 おばあさんのように腰が45度に曲がったまま、それ以上直立が出来ない!! 背中を伸ばそうとすると激痛が走る。最悪のヘルニアが出た。 止せばいいのに、今までの経験からヘルニアなんて、マッサージするか、コルセット巻いて痛み止め飲めば数日で良くなるだろうとタカを括った。で、家の近くにあった「漢方総合病院」に行った。 ここはいわゆる「マシな類の人民系ローカル病院」。だけど、成都時代の診療所の奇跡的な治療マッサージに感動したことのある私は、ここが「特別科」のある総合病院よりいいだろうと判断した。 で、「グアハオ」してから「治療マッサージ」科に行く。 レントゲンかCTを取らないと悪い箇所がわかんないし、そもそもヘルニアかどうかの診断も出来ないから治療出来ないといわれる。私は、ヘルニア歴長いんだよ、こんなの自分でわかるよ!と思いつつも埒が明かないので同じ病院でCTを取りに行く。レントゲンだと良く見えないと又CT取る羽目になるから最初からCT取ったほうがいいよという医者の薦めに従ったのだ。今思うと、そっちの方が高いからだろうけど。 で、やっぱりヘルニアって事でマッサージが始まる。 こねたり引っ張ったり、手のつぼに針刺したり。。。色々やっても成都のときのような劇的な変化はない。 ここでも又、「何が何でもなんとかしてくれ」って事で、 ①通院による点滴(体液の流れを良くして痛みを取るらしい) ②漢方薬の処方(骨とかを強くして、気の流れをよくするらしい) ③牽引と温熱療法 ④漢方シップ(チベット系の黒い漢方薬がべっとりついた強烈なシップ) ⑤コルセット ⑥針 による治療を始めた。毎日通院した。 当然不自然な前傾姿勢が直るまで会社は休むしかない。 本当は医者は「手術だな」とのたまった。 こんなところでメスを入れるなんて冗談じゃないと必死に抵抗した結果が上記の対処法だ。 中国の医者に患者を思いやる気持ちを期待するのは間違っている。皆ずけずけという。 「こんな腰じゃ、子供なんて産めないぞ」。痛みで十分参っているところに追い討ちをかけるこの台詞。 さすが中国だ。しかも、そんなこと今聞いてない!私が手術しないって言ったのが気に食わないのか?! 因みに上記の治療全てで1万元以上かかった。保険無し。 これを1~2週間しても大きな改善は見られなかった。 出来ることは全部やったのに、今までのようにはっきりとした改善が見られないことに焦った。 いくらひどいぎっくり腰でも、皆それなりに動いてるでしょ?私みたいに前景姿勢でよたよた動いてる ぎっくり腰がこんなに長期間続いてるのはみたことない!! で、中国に多い怪しい治療法の広告につい目が行き、わらにもすがる思いで違う病院に行った。 それは、つまり「中国とドイツが共同開発した、その2つの国にしかない特別な牽引機械で一気にヘルニアを治す」というもの。横にちゃんと立てなかったおばあちゃんが、背筋を伸ばして立っている写真まで載っている。ここまで来ると、「ちょっと位怪しくても少しでも良くなるなら!」という思いが勝った。 この病院のおじさん先生と看護師は共に感じが良く、親身になって 「大丈夫、この治療ですぐに良くなるからね。僕も前にやったことあるから。7年たつけど、それからヘルニアは出てないよ」と言ってくれる。ここまで来ると、治療法の有効性より、やさしい態度のほうがありがたい。前の病院から持ってきたCTを元にヘルニアの出ている部分を機械に打ち込んでいく。 治療室には、ベットとその横にコンピューター、足元に何だか良く分らない大きな機械。 ベットの上にうつぶせに寝かされ、手足と腰をベルトで固定される。一見、え?!拷問?って感じの状況だ。 「じゃあ、やるよ」って技師が言うと、いきなり意味不明のものすごい力で身体が上下左右、斜めなどに引っ張られた。足元に合った大きな機械とベットから「がっちゃんがっちゃん」とものすごい音がする。 まさしく、拷問。 しかも、「痛くない」って言ってたのに、ものすごく痛い! これは「ギャーギャー叫ぶ類の恐ろしい痛み」だった。只でさえ、ヘルニアでうつぶせしてるだけでもつらいのに、これはあんまりだ。。。 施術時間自体は数分で終わり、背中にスースーするクリームを気休めに塗られた。 「こんなに痛がる人は初めてだ」とか言われながら、術後の点滴ルームにベットに乗せされたまま移動される。ここから4時間くらいかけて、6本の点滴を受けるのだ。多分、腫れを取る為だと思われる。 この拷問と点滴で、締めて3000元位だった思う。保険無しでね。 結果は、というと、奇跡的に背中が伸びた! だけど今度は、前屈が出来なくなった。。。。 結局「温存療法」を実行する為に日本に戻り、針治療に通いながらそれから半年近くはベットの上で寝たきり生活をした。 時間をかければ自然に回復するもんだな~と思った。

中国の病院でまず最初に聞かれること

中国で仕事をし始めてからのこと。 この頃からは私立又は外人向け「特別科」があるいい病院にしか行ってない。 こういうところが四川時代の「人民系ローカル病院」と違うところは、まず最初の「グアハオ」の値段。 大体50~100元は取られる。しかも、先生に診てもらって、薬や治療法を提示されるときに必ず言われるのが、「金あるか?」。 つまり、どの位出せるかによって治療法、出す薬が違ってくるシステム。。。 地獄の沙汰も金次第! 当時シンセンで働いていた。上司がたまたま中国で婦人科の医者をやっていた事がある日本人だった。 生理の前後で左の卵巣付近に不快感が続く上に、最近生理のときに出血量が昔と比べてかなり少なく、このままひっからびたりして~ということを何かのついでに話したら、すぐに病院に行って調べろとアドバイスされた。会社のすぐ前にいい感じの私立病院があったのでそこに行く。 幾つかの検査を行う。結果もすぐに出た。 いい感じの中年女医先生がいうには、「子宮頚糜爛」つまり、膣と子宮の連結部分が爛れてるという事。 原因は、まあ、色々あるんだけど女性ホルモンが多い20代の女性の70%は糜爛が多かれ少なかれ、あるらしい。私の場合は、治療が必要な位ひどかったというだけ。思い当たる節は多すぎた。 ここでも、「金はあるか?」。と親身に聞かれた。。。 「金は糸目をつけないのでちゃんと治療してください」ということで、 ①抗生物質の点滴と服用 ②わけのわからんMRIみたいな筒型の機械に肛門から「お腹をあっためる」という漢方の液体を注入されたあと入れられ、電磁波で腹部を暖める治療。→炎症を取るらしい。 ③レーザーによる患部の治療 ④アフターフォローとして、1週間に1回を3回で患部にぐりぐりと消毒を施す というフルコース治療を受けることになった。 合計2000元チョットだったと思う。保険無しでね。 特に③のレーザーは痛かった。麻酔もしないし。 私「痛くないんですか?」 医「痛くないわよ。少し重い感じがするかも。生理痛のひどいときみたいな」 これなら何とか耐えられるか?と思い始まると。。。 痛いじゃないか!!しかも、ギャーギャー叫ぶ感じの鋭い痛みじゃなくて、重苦しい感じの鈍い痛みが 下腹部全体に広がり、声も出ない。施術時間は5分程度なんだけど、終わったら顔色真っ青。 又抗生物質化何かを点滴されて、午後から会社に行った。 何も知らない同僚が、「どうしたの?顔色悪いよ」 すごく痛かったんだよ!!声も出ないくらいに! レーザーの後にも患部にぐりぐりと消毒液をすり込まれた。これも痛い。 人生初の「肛門に何かを突っ込まれる」+レーザー体験をした結果。 良くなった!レーザー後、1~2日で今まで何をしてもだるくて、食欲もなかったのが ちゃんとおいしく食事が出来るようになった。左下腹部の不快感も、だるさもうそみたいになくなった。 やっぱり、体内に「爛れて」いるところがあれが、体調がいいわけないよね~!!と痛みを忘れて現金に喜んだ。結論としては、中国に長い私の友人も言っているけど、中国の医者は結構優秀なのが多い。人口が多いだけに、こなしている数が違うから。あと、漢方も一緒に使ったりするから日本の僻地の大学病院に行くよりよっぽどいい。 ただ、その後数年後にネットで調べて思った。 中国だったから、あの時レーザー治療までしたんだな、と。 多分日本だったら抗生物質の投与で終わってると思う。中国は何かにつけ、「積極的治療」が大好き。 お金取れるからね。日本だったら温存治療をとる場合が殆どのものでも、すぐに切りたがる。これはホント。

インドの眼医者

インドで眼科に行った時のネタ。 インドには、スマトラ島津波の前後あわせて1年位住んでいた。 その時に、目に物貰いができた。 最初は良くある小さいものだったので、薬局で目薬を買って様子を見た。 でも、だんだん大きくなっていき、痛いし、コンタクトも入れられない。 諦めて、眼科に行くことに。 その時いたのは、南インド・チェンナイから南に60KMほどいったところにある 海岸沿いの観光地。内陸に30分くらいトゥクトゥクを飛ばして行った。 平屋の建物の中に人がいっぱいうろうろしてた。そこが眼科。 インド人と一緒に行ったので自分で受付などをしていないのでイマイチシステムは謎。 お医者さんはでっぶりど~んとしたおばさん。 機械はそれなりに近代的なものが置いてあった。 物貰いということで抗生物質入りの目薬を出される。既に薬局で買ったの試したんだけど、 効かなかったというと、これはもっと強いから大丈夫とのこと。 7週間くらいさし続けたら、本当に良くなった。 あの頑固な大きいものもらいが。目薬を差し始めてから、目やにがものすごく出るようになった。 特に夜さして寝ると、翌日の朝、目やにで目が開かないくらい。それがだんだん少なくなっていって、 物貰いも小さくなっていった。恐るべし!インドの目薬! 一般的にインドの抗生物質は日本のものに比べて強い。もしくは、量が多い。 1週間くらい熱が下がらなくて近くの診療所に行ったときも抗生物質を出された。 「あんまり強くないから大丈夫」との事だったけど、私には強かった。 全然直らなかった熱がすぐに下がったけど、代わりにお腹をやられた。 そこのお医者さんも、でっぶりで~んとしたおばあちゃんだった。インドには女医さんが多い。

中国で入院すると。。。。

中国③お見舞いで精神科へ 中国留学時代の、韓国人の友達の「統合失調症」騒ぎ。 彼女のお見舞いで卒業間近に華西大学病院系列の精神科にお見舞いに行った。 たしか、入院騒ぎは春だった。 お医者さんの説明によると、この時期おかしくなる人が一番多い時期だとかで、入院ベットも中々空がないらしい。だからMも個室じゃなくて2人部屋にいた。 なんていうか。。。。。柵無しの牢獄?みたいな部屋だった印象。 留学1年目にスリランカのモデタというクラスメートが腎臓か膀胱炎で1週間くらい入院してたときにも お見舞いに行って「何がなんでも中国で入院だけはすまい」と心に誓った。位、人民が入る病院は。。。(まあ、10年前の話だけど)ひどかった。看護婦さんの爪も長くて真っ黒だった。。 成都には、「政府第○病院」系列があって、○の部分に1~10くらいまで数字が入っている。 モデタは第7病院だったはず。数字によって内科、外科、眼科、精神科、その他色々。。。と分けられているというような噂を聞いた(真偽の程は確かめてないから不明) 卒業後仕事を始めてからは、外国人が利用する「特別科」がある高級病院にしか行ってないから この学生時代の体験がなければ、こういう人民のリアルな世界を見ることも出来なかったな~と思う。 そこに入院する嵌めにならなくてよかった。

中国の優秀な漢方医

中国②路上でヘルニア発生 中国滞在半年後位から、夜グランドを走り始めた。 しばらくやると、癖になり、走らないと「毒素が溜まった感じ」がしてきた。 というわけで、たまに「腰が痛いな~」と思っても無視して走ってた。 16の時、高校のスキー授業で久しぶりの得意のスキーをやったら「ぐきっ・・!」と来て 椎間板ヘルニアになり、1ヶ月くらいコルセット生活をしていたことがある。それ以来、大きなヘルニアは出ていないけど、寒くなると神経痛?は多少感じていた。 で、ある日大学近くの道を歩いていたらいきなり腰に痛みが走り、歩けなくなった。 一応立ってはいられるんだけど、全うに歩けない。。。 と、目の前に「診療所」の看板が。よろよろとわらにもすがる思いでそこまで移動。 状況を説明すると、おじさん先生は脈を取り、一通りの「漢方医的診察」を済ませた後に、 「マッサージか漢方の飲むか」といった。 (はあ~?ヘルニアって漢方飲んで良くなるものなの?)っていうのが私の感想。 「どんな作用が?」と聞くと、 「血液と気の流れを良くして腰周辺の滞りを解消する」 「マッサージは?それで良くなるんですか?」 「なる!」 この先生の自信に励まされ、マッサージを受けることに。 因みにこれは、良くある街中の「健康マッサージ」とは違い、「治療マッサージ」という。 時間も大体「健康」は1時間で全身をマッサージするんだけど、「治療」の場合は患部とその付近のみを20分前後マッサージする。 このときのヘルニアは、「うつぶせが出来ない」出方だった。 なのに先生は、マッサージベットを指差し、「うつぶせ」。 「いや、出来ない」→「出来る」→「うげ~~~!!」。 無理やりうつぶせにされた後、先生の他に2人のおばさんに取り囲まれた。 先生は色々「ここがこのつぼで、ここを押すと彼女はすごく痛い」とか言いながら、拷問のようなマッサージを続ける。本当に痛かった。ギャーギャー痛いと叫ぶ私を無視して、講義とマッサージ(拷問?)は続く。 これでもう私、このうつぶせ状態から動くことも出来ないほど壊滅的に痛めつけられた。。。と思っているとマッサージは終了。 「立ってみろ」と先生。そんなあ。。。無理に決まっていると思い、助けられながら身体を起こし恐る恐る立ち上がると。なんと!!マッサージ前の痛みレベルが100、マッサージ中が120だとすると、マッサージ後は40位にまで回復していた。恐るべし、拷問マッサージ!! とりあえずちゃんと歩いて寮まで帰れそうだった。 現金にも気を良くした私は、先生に「すごい!良くなってる」というと、 「そうだろう、あとこれを2~3日に1回の割合で1週間くらい続ければ完治だ」と言い切った。 実際、そうなった。 あまりの名医ぶりに色々先生と話がはずんだ。 いわく、先生は成都に留学に来る医学生が学ぶここでは一流の「華西大学病院」の医者で、ここの診療所では周3回のバイトをしているそうだ。私と同い年位の息子さんも軍医をしているから、どうだ?今度紹介するぞ、と言われた。先生いわく、優秀な漢方医になるには、5年間の医学校訓練以外にも、あと3年くらいチベット医学をやるといいとのこと。でも、最近の医者ではチベット医学まで勉強している医者は少ないとの事。先生は、当然チベット医学も修めている。 因みに治療マッサージのお値段は、確か1回15元か25元だったはず。 私が当時行きつけの「盲人健康マッサージ」は1時間15元だったから、時間からすると「治療」は割高なんだけど、まあ、日本円に換算したら信じられない安さだ。技術も一流! 診療所で思いがけなく見つけた掘り出し物って感じだった。

意外に優秀な中国の病院

中国①尿道感染 中国では何度も色んな病院にかかってる。 まずは成都時代。 留学数年目にして初の中国病院デビューをした。 数週間、左のわき腹が変だった。なんていうか。。。痛いとかそういうのではないんだけど、 「ものすごい違和感を覚える」といった感じ。最初は無視してたんだけど、無視できないほどの 「違和感」が主張を始めたので諦めて病院へ。 四川大学敷地内にある、「望江病院」だったはずだ。一番近いし、通り道にあるから。 もちろん、バリバリ中国人民しか利用しないローカルな病院。 よくシステムもわかんないけど、取り合えず当たって砕けろ。 中国では大体「グアハオ」といって、まあ、「順番待ちの紙」を最初に貰う。これに1元とか(時代、場所、病院のレベルによって値段は様々)払ってもらった(気がする)。 で、自分が診察を受けたい課に行く。とりあえず内科に行った。 診察室のドアは開いたまま、先生の前から廊下まで長蛇の列。私も同じように割り込みをしたりしながら、列につく。これはすごいぜ。プライバシーなんてない。皆、前の人が診察されている内容が聞こえる。 私の番が来る。すると、「不機嫌な顔のおばさん先生」が、手をふっと上に振り上げ、「男性は後ろに下がり、ドアを閉めるように」といった。一応私が若い女性だったので、服をめくって診察するのを気遣ってくれたようだ。日本だったら当たり前なんだけど、これにはちょっとびっくり。 尿道感染か、膀胱炎か、結石の疑いということで、尿検査と超音波検査を指示される。 自分で先生が書いてくれた検査指示を持って、尿検査ラボに行き、用具を貰って尿を取り、コップを持って検査室に持って行き、その前で検査結果を貰うのを待つ。15分くらいですぐに結果が出た。会計もここで済ませる。7元だった。安い!早い! 超音波検査はその時技師がいなかったので翌日排尿しない状態で出直すように言われる。 そうした。これも翌日そのまま病院に入り、検査室に直行。技師を自分で探して検査してもらう。 ごわごわのわら半紙+アルファみたいな紙で検査後のジェルをぬぐってもらい、終了。28元。安い! 二つの検査結果を自分で貰い、持って最初の先生のところへ向かう。 「よかったね、結石じゃないから、多分尿道感染だ。抗生物質と利尿剤(漢方)を出すから薬が終わったらまた尿検査においで。水をたくさん飲むように」。 「因みに、尿道感染の原因は?」 「上からも、下からも感染しうる」 ・・・・何となく思い当たる節はいっぱいあった。まあ、いいや。 薬が終わって再検査。 「んん?今度は尿に蛋白が出てる。。。まったくこのおねえさん(小姐)は。。。」とぶつぶつ言った後、利尿作用のある漢方をもう1週間飲むように指示され、終了。飲み終わる頃には、すっかりわき腹の不快感も消えていた。中々優秀かつ安い、中国人民の利用する病院!

東南アジアで長く生活すると体を壊す 1

ラオス・人生初の点滴を受ける 20代から中国を中心とした東~東南~南アジアで生活をしてきた。 その結果か、年齢のわりにあちこち故障が多い私の身体。 まず手始めは、2000年年明けのラオス旅行。 中国の成都~昆明まで鉄道で移動。そこからラオスまで陸路バス移動。 当時、ラオスの唯一の国道ルート13(今はどうだか不明)がまだでこぼこの舗装されていない道だったころのことだ。 この旅行の目的は「楽しく冬に東南アジアでトロピカルフルーツを食べまくるツアー」。 といっても、私と留学仲間のさっちゃん2人のね。 これが私の「初!東南アジア入り」。さっちゃんも前に一度ベトナムを旅行で訪れたことがあるのみ。 だから、知らなかったんだよ。。。パパイヤって食べ過ぎるととんでもないことになるんだってことを。 で、二人でバカバカ食べた。大きな黄色いパパイヤを丸ごと1つ。1日で。 それを数日続けた。上に、帰りの航空券を手配した(さすがに帰りもあの過酷な陸路を利用する体力は残ってないと判断)旅行会社の社長(カンボジア人)が招待してくれた、ビエンチャン空港の空港職員とのパーティーでもてなされ、「俺の酒が飲めないのか」状態で飲み続けた結果、最初にさっちゃんがやられた。夕食のときに下痢が止まらなくなった。というわけで、その日は早めにゲストハウスに戻る。 冬だけど暖かいこの地域では、基本的に水シャワー。冬はそれでも夜は涼しいから、現地の人は大体昼間のうちに水浴びをする。外人の私たちは、いつもどおり夜に水シャワー。それもたたったのか、その日の夜、私のほうにも時間差攻撃でひどい下痢が襲ってきた。一晩で4回下して、更に3回吐いた。震えも止まらなく、要するにひどい脱水症状を起こし、翌朝にはしゃべるのすらめんどくさく、指1本動かすことも出来ないていたらく。 上記のカンボジア人は、妹が日本人と結婚しているらしい。苗字が私と同じ「佐藤」ということで、とっても私に親近感を覚え、必要以上に良くしてくれた。頼んでもいないのに自ら勝手に私らのツアーガイドを費用ごと自分持ちでやってくれていた。(まあ、より正確に状況を描写すると、「若い日本人の女の子二人と一緒に遊べるいい機会を楽しんだ」というところかね)。お金のない留学生だった私たちもそれをラッキーと受け入れた。いちいちトゥクトゥク値段交渉しなくても、日本製の車で迎えに来てくれるのは楽だった。。。 で、翌日迎えに来てくれたカンボジア人が私のその状況を見て、自分のお抱えのおばさん医者をゲストハウスに呼んでくれた。そこで、人生初の点滴を受けることになった。単純なブドウ糖点滴だったと思うんだけど、私にとって、点滴ってそのときは「すごい重病人が受けるもの」だと思ってたから。しかも人生初の点滴をラオスでやるなんて。。。

ブータン旅行ネタ1

数年前にブータンに行った時の日記ブログから。 ******************************************** ティンプーでせっかく買ったキラを着てパロゾンで写真を撮るのが今日の目的。 朝からキラを着るのに大騒ぎした。結局一人で着れなくてホテルのお姉さんに着せてもらう。腰ひもをきつく締めあげないとずり落ちるのでかなり苦しい。ブータン人はいつもこんな苦しい恰好でいるのかと思う。着物よりましだが。 ブータン人と日本人は本当によく似てると思う。キラを着たら完全にブータン人に間違われて日本人観光客にカメラを向けられた。日本語で「私は日本人ですよ」というと困った顔をしていた。 それから市内のお寺や橋を見学。 午後は絶壁の途中にあるお寺に又崖登りをして到着。 90度に近い絶壁なので上から見下ろすとかなり怖い。周りに誰もいない静寂の中でパロを見下ろすとかなり気分がいい。絶壁と組み合わさって立っているお寺も雰囲気が良くて、次回は1日中ここで瞑想したいと思った。 夕方は本日のメインイベント。ブータン焼き石風呂だ。 せっかくなのでホテルではなく、農家の焼き石風呂を頼んだ。パロ市内から山道を上がり、舗装されてないオフロードをごとごと15分も登る。伝統的ブータンの農家だそうだ。馬もいた。 ただ石を焼いてお湯を温めただけのお風呂かと思っていたら違った。 石に硫黄が含まれているみたいで(多分その他のミネラルも)お湯は硫黄のにおいがしている。ガイドさんに聞いてみる。薬草風呂ではないけど、石からミネラルが出てくるから体にいいよとの事。ある意味人工温泉だ。水に入れた石がなかなか冷めないのでお湯がだんだん熱くなってくる。隣の湯船から水をくみ出し追加しながらブータン石焼風呂を楽しむ。数分でゆだってくるので出たり入ったりを繰り返す。農家の女の子に水を持ってきてもらって水分を補給しながら1時間弱くつろいだ。(写真) 風呂を出てからアラというブータン独特のお酒(農家手作り。焼酎みたいな感じ)を味見する。残念ながら飲めないので本当に味を見ただけ。焼酎!って感じだった。 ホテルに戻り最後のブータン料理を楽しみ、シャワーを浴びようと服を脱ぐと肌から硫黄のにおいがした。やっぱりミネラルがお湯に溶けだして硫黄温泉になってたんだと納得。毎日入ったら本当に体に良さそうだ。

インドに関する記憶

インドは強烈なのだ。 あんまり長く居すぎると、いわゆるこっち(俗世)の世界(=今までの生活)に戻れなくなってしまう。 深い部分でのモラルの崩壊が起こるとでもいおうか。。。 同じものを見ても今までと同じように見えなくなってしまうのだ。 あそこまで濃く「生」そのものを表現している場所って無い気がする。 地獄と天国の縮図がインドのあらゆるところで見られる。(気がする) 私は合計1年くらいインドにいたけれど、こっちの世界に戻ってから半年、何もできなかった。 もちろん日常生活を送っていたのだけれど、正直寝転がって指を1本動かすのもだるかった。 あんなふうに脳みそを思いっきりぐちゃぐちゃに振られた気分になったことはない。 戻ってから数年たつけど、今だインドには足を踏み入れる決心がつかない。 ネパールやブータンには行った。インドにもいつか又行きたい、というか行く必要があるし、 行くことになるのはわかっている。だけど、まだ行けない。それはきっと、まだ時が熟してないから。 2004年に最初にかの地に足を踏み入れたときも、「行きたくないけど、行かなきゃ」という 根拠の無い思いに突き動かされて行った。そして、その時に起こるべくして起きた事があった。 インドに行ってから、直観というか、動物的感、または霊感みたいなものが高まった。 これがあまりにも暴走すると、俗世に戻れなくなりそう。 でもそろそろ刺激が欲しくて、インドに上陸したい気分でいる。

インドに関するネタ

日本の常識、世界の非常識 タイトルにあるような、タイトルのTVを昔見た。 コンゴ共和国の治安の悪さにびっくりしたんだけど、現地コーディネーターか誰かが言った言葉でインドを思い出した。 「日本では、警察官、セキュリティーなどは私たちを助けてくれる人としての認識があるが、ここでは=強盗集団と思っていい」。 これ、インドでもそう。 州から州への田舎道なんかで途中で警官に車を止められたら最後。 いちゃもんをつけられて、賄賂を渡すまでそこを通してもらえない。 一度道が分らなくなったので、インド人に「あの辺に警官がいるみたいだから道を聞いてみたら」 と、日本ではごく普通のことを言ったら、「はあ?何言ってるの」って感じで、警官=強盗集団と 言われた。また、あほな事言って。。。と思ったけど、これが事実で私は憤慨。 でも、憤慨したところでどうしようもないんだよね、インドでは。 電気だって、停電するというより、「1日のうち数時間だけ電気がつく」と言ったほうが正確な地域も多い。 でもそれは、たいてい地域住民も悪いのだ。 電気代を払わなかったり、盗んだり、ごまかしたり。結局全うに送電しても元が回収できないからそういうことになるのだ。まさに、自業自得。 南インドは比較的人の質がいいので、電気もそれなりに(インフラ整備がされている場所なら)送電されているのにね。

前の会社で働き始めたころのネタ

本気で驚いた、シンガポール・チャイナタウンでの出来事 その時私が働いていたオフィスは、シンガポールのチャイナタウン付近の雑居ビルの中にある。 なのでトイレがね・・・外部の人も入れる。 ある日、午後4時頃トイレに行って心からびびった。 素っ裸のおばあちゃんが、洗面台の前で水浴びしてたんだよ!トイレの洗面台の前で!!素っ裸で。 一応オフィスも入っているビルの中で。しかもここはシンガポールだぞ!公衆の面前でそんなことしたら捕まるだろう?!→ということは、すごく危ない人なんじゃないだろうか?と思ってびびったのだ。 急いで個室に入って用を足したけど、鍵を開けて出て行くのが怖かった。 だってほかにだれもいなかったんだもん。このおばあちゃんが裸で近づいて来たらどう対応すればいいのか、さすがに困った。何とか急いで脱出し、事務所に戻りシンガポール人にその出来事を話すと。。。。 「いつもこの時間にあそこで水浴びしてるのよ。だからこの時間はトイレに行かないほうがいいよ。4時ね!」・・・・ そんなあ。。。知ってたんならそういう情報は先にくれよと思った。 それにしても、「いつも」そんなことしてるのに誰も注意しないのか!? ごみのポイ捨てしても罰金取られるこの国で?? まったくもって意味不明の出来事だった。 こんな事ってあるんだね。

管理と教育と洗脳

管理と教育と洗脳 シンガポールで働き始めてから感じるこの不思議な感覚。 私は結構シックスセンスが鋭い。動物的感というか、直感というか。 生き物が発するオーラ(気)みたいなものが敏感なときには見える。 その土地から出ている気もどんな種類のものか感じたりする。 シンガポールは不思議なんだ。 人がごみごみしてるところにいても、あんまり大量の強力な「気」の放出を感じない。 タイは個人的には好きだったけど、あの国の気は私の気は合わないようで何かがだるかった。 中国はものすごい強力な「人」の毒気がむんむんしている感じだけど、それが刺激でもあった。 インドはなんだか。。。全体的に色んなネガティブな念が渦巻いてる感じがした。強烈な霊性の土地だった。 一番あの世に近いこの世の場所って気がした。天国も地獄もここにあり、ってなイメージ。 で、色々考えをめぐらせてみて、国としての管理=教育=洗脳と思い当たった。 シンガポールは国自体が小さいから、強力な管理で人をこんな風に作り上げたんじゃないだろうか? ブータンもそうだけど、小さな国は思想教育も含めて大国よりはるかに色んなことがまとめやすいはず。 国からの強烈なメッセージ「あなたはこのように振舞わなくてはならない」を教育を通じて徹底的に叩き込む=洗脳。その結果がこれ。 皆礼儀正しくよそよそしく、猛烈に勉強し、猛烈に働く。 きちんと休みも取ってバケーションに行き、消費する。 冷静に考えると皆この小さい国で通勤片道1時間を普通に通ってる人がこれだけ多いってどうなんだ? しかも朝8時半とか8時勤務開始だから7時過ぎには家を出ないといけない。 同じ会社の23歳の女の子は6時に起きてシャワーしたり、支度したりしてるらしい。 で、会社では中国と違って誰もインターネットや余計なおしゃべりをせずに猛烈に自分の仕事に励む。 12時にランチの放送がかかると、皆いっせいに仕事をぴたっと止めて出て行く。 夕方は5時半に終業の放送がかかるが、皆仕事が終わらないと帰らない。 その後外で外食したり、友達と会ったりして11時過ぎに帰宅。本当に寝に帰るだけ。 家を買ったらローンを払うために人に余ってる部屋を間貸し、まだ買えない人は親の家から通うか、他の人の家に間借り。これって楽しいのか? 私は外部から来た人間で、こんな生活が新鮮だから今は楽しい。 でももしこの国に生まれていたらこんな人生を疑問なく送れるかどうかは謎だ。 でも、シンガポールの人たちはかなり皆人生をうまく楽しんでいるように見えるのだ。 これが又本当に不思議なことに、そうなんだ。 だから人が発する毒気みたいなものを殆ど感じない。 一瞬、感が鈍ったのかと思うくらい、今まで見えてたものが見えなくなった。

シンガポールで働き始めたころ

以下は、シンガポールで働き始めた2011年5月のネタです。 初マレーシア上陸 その時は3連休。 というわけで、会社の同僚とMRT+バスでマレーシアに行ってきた。 香港からシンセンに行くより近い。香港とシンセンがそんなに違わないより、国境付近のマレーシアと シンガポールはほとんど違いがないように思った。 香港・シンセン間はシンガポール・JB(マレーシア)より物価の差がある。 マレーシアも奥地?のほうまで行けばずいぶん違うらしいけど。 どうせ行くなら、次の3連休は、奥地まで行ってみよう。 そうそう。 シンガポールから出るとき、イミグレで初めてオフィスに連行された。 シンガポールからの出国カードが無かったことが理由。 オフィスに行って自分の番が来て名前を呼ばれる。 オフィサー:EPカード持ってる? 私:はい。 オフィサー:なんでイミグレで出さなかったの? 私:出せと言われなかったから。 EPが発行されたときに私の出国カードはそこで没収されていたらしいんだけど、私はそんなこと 気にしてなかったから、説明しなった。 イミグレの担当官もその可能性を考えて私にEPカード持ってるか聞かなかった。。。。。ふっ。